Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)+ 接写リング
@ 奥卯辰山健民公園(どうやら”県民”ではなく”健民”が正しいようです)
コスモスではなく、秋に咲く(本当の)桜。
2,3週間ほど前にもこの近くで撮影しましたが、花の状態が悪く、咲いていたのを記録したというレベルでした。
今回は多少はマシに撮影できたので載せました。
ブワッと咲いているわけではなく、ちらほらと咲いているくらいのため、あまり華はないかもしれません。
今回は金沢城公園周辺で秋の気配を探してみた。
Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)
大きなカエデの木。
すでに枯葉となり落ちてしまっているもの多数あり。
Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF) + 接写リング
ツル状の植物。これも黄色く染まっていました。
接写リングを2枚重ねにして1mちょいで撮影。この距離だと手ブレ多発に注意です。
Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)
桜は一部のみ染まっていました。
14:00くらいに撮っていますが、薄曇りだったので実際はここまで明るく撮れていません。
ハイキーな雰囲気に調整しています。
Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)
モミジが赤かったのは一部のみ。手前と右側はまだ緑でした。
赤が色飽和してしまうため、真ん中の真っ赤な1枚だけ、補正ブラシでコントラストを下げています。
今日は薄曇りだったこともあり、180mmで撮るには少々手ブレが気になりました。(パープルフリンジ対策と被写界深度をかせぐため、f/8あたりを基準に絞りを調整してます。開放はあまり使わないかも。)
普段使わないISO400まで上げて、百発百中とはいかないけれどまぁなんとかといったところでした。
Web掲載サイズだとISO400でもあまり気にならないかな。
しばらくぶりの雨となりったが、お気に入りのあの木がどうなっているか気になり、小雨の中で撮影。
Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)
いい色に染まっていました。
この赤と緑のコントラストはどうしたことでしょう。(Lightroomで彩度はいじっていません)
もう少し赤の彩度を下げてディテールを出したりする方がいいのかもしれませんが、今回はこれでよしとしています。
Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)
補正ブラシで赤い葉っぱの明るさを+, 彩度を+しています。
高い枝はもっと色づいているのですが、どうにもいいアングルで撮れませんでした。
Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)
何の葉っぱかよくわからないんですが、オレンジと緑のコントラストが目に飛び込んできました。
手前のボケは、ほぼ完全に色が変わった状態。
D80 + Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF) で約1.4kg。
これをSLIKのバル自由雲台に乗せていますが、構図を決めてノブを締めた後、レンズの重さで若干構図がズレます。
ここで止めたいと思っていてもうまくいきません。
結局、ちゃんとした三脚と雲台が必要ということか。
金沢近郊はまだ紅葉と呼ぶには少し早いみたいです。
(少し前に行ったきりノーチェックだけど、医王山とか山の方はどうだろう?)
山全体が染まっている感じが見たくなり、白山まで行ってきました。
といいつつも、登山はしんどいので車でいけるところ+αの別当出合までですけど。
AF-S DX Zoom-Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G II
こんな感じの色づき具合でした。
様々な色が入り混じっており、ちょうどよい感じ。
Ai AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)
モミジ(カエデ)も赤の割合がかなり多かったです。
でも、100%の赤より、オレンジや黄色が混じっているほうがきれいだと思うのです。
次は金沢近郊の山間部に行くか?
10月中旬になりましたが、紅葉になり切っていません。
この前行った乗鞍や、白山スーパー林道など標高の高いところはけっこう進んでいるようです。
以下の5枚、すべてAi AF Nikkor ED 180mm F2.8D(IF)です。
以前も載せたトチノキ(ほんとにトチノキかは自信が無い)も、まだ緑の部分が残っています。
枯れて落ちている葉もありますが、まだまだ残っています。
ヤマハゼは赤い葉がかなり増えました。
赤くなったらすぐに葉が落ちてしまうようで、いい状態の枝が少なくなってきました。
モミジ(カエデ)は、まだほとんど赤くなっていないものも多いです。
ですが、真っ赤になっているものもあります。(上の写真以上に真っ赤なものも)
元々、山歩きとかハイキングとか、坂道を歩くということが嫌いですが、写真を撮るという目的のための手段としてならあまり気にならないかもしれません。