2015年8月30日、”戦争法案に反対する国会前大抗議行動”に参加した。
当日の朝に急遽東京行きを決める、という波乱含みのスタートだったが、金沢を出発して数時間後、実際にその場所、国会前に立ち、ビートに乗せたSEALDsのコールを感じて自然と体が揺れる様は心地よく、この抗議行動に参加して良かったと感じ満足感があった。
また、各種メディアが報じている、あの国会前の道路を市民が埋め尽くす光景、その光景の中に自分が立っていたことを嬉しく、誇らしく、頼もしく思うし、その思いは参加した市民全員にあてはまるものだろう。
金沢へ戻り、撮影したフィルムを現像して2015年8月30日のひとコマひとコマを眺めると、現場においては自分の高揚感と躍動感で受け止めきれなかった人々の思いを、じっくりと改めて感じることができ興味深い。
また、それらの写真を見返すと、あのとき国会前で立っていた自分の気持ちが蘇り、新たな力が湧いてくるように感じる。あの日あそこに集まった人々は、溜まりに溜まったガスを抜きに行ったのではなく、これからのための充電をしに行ったのではないかと思う。さらに、あの日参加しなかった(できなかった)人々にあの光景を見せることで、数えきれないほどの導線に火をつけたのだろうと思う。
2015年9月2日には、SEALDsから”自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs) 戦後70年宣言文”が発表された。
この国の過去、現在、そして進むべき未来について、僕、そして僕たちが抱えている心のモヤモヤを、わかりやすく、丁寧に、スッキリと書ききっているこの宣言文に、僕は賛同します。
2015年8月30日に撮影した写真とビデオは、Flickrのアルバム”Huge protest act in Tokyo, Aug. 30, 2015”にアップロードした。
東京へ
前日までは、東京へ行くには金もかかるし時間もかかるので、抗議ポスターを貼り付けた紙袋を肩から提げ、金沢市内を一日中歩いていようと思っていた。それで行動に参加したことにして、気を晴らそうと考えていたのだと思う。スポーツでも勉強でも仕事でも、手を抜くとはそういうことだ。結局、手を抜いたことをわかっている自分が苦しむのだ。
当日の朝、目が覚める頃になり、そわそわとして、いてもたってもいられなくなった。誰かがやるだろうでは済まされない、自分がやらなければ、自分がやるからこそ意味がある、そんな思いで心がいっぱいになった。「けして行けない場所でもないだろう…」あの歌の歌詞が脳裏をよぎる。
金沢は朝からずっと雨が降り続くようだし、東京で、国会前で立っている方が気分も良いだろうと思えてきて、東京へ行くことにした。
金沢から東京へは、北陸新幹線で約2時間半。
8時半すぎに家を出ても、11時30分には東京で昼飯が食える、そんな場所だ。
国会前に到着
八重洲地下街で早めの昼食を済ませ、ペットボトルの水などを買い、地下鉄に乗って霞ヶ関駅へ向かう。
丸ノ内線の車内では、手のひらサイズの”アベ政治を許さない”カードをパウチッコ(ラミネート加工)し、それを鞄からぶらさげている人もおり、国会前へ向かう人の姿がちらほら見られた。
霞ヶ関駅で下車し、地上へ。国会前へ向かう人々が数メートル間隔で歩いていた。
12時半ごろ、国会前に到着。
国会議事堂正面の車道はがらんとしているが、歩道と車道を区切る鉄柵や何台もの警察車両が並ぶ様は、異様としか言いようがない。
さて、北側か南側か、どちらへ行けばいいのだろう?SEALDsのメンバーたちを見たいなぁと思っていたのだが、どちらに集まっているのか調べるのを忘れていた。
さっき一緒に国会前の信号を渡ってきた人々は、この場に留まること無く北側か南側の各歩道へと進んでいき、僕一人だけがぽつんと取り残されてしまった。周りには警察官が10名程度おり、大きな紙袋を持つ僕を怪しんでいるような気がしてきて気分が悪くなり、とりあえずこの場を離れようと北側の歩道へと向かった。
北側の歩道
北側の歩道へ入ってすぐ、北庭入口付近にはさまざま年代の人々がおり、穏やかに談笑する光景が見られた。幟をもった人もおり、何人かで集まって話をしたりしている。一人で参加している僕は、少し寂しい気分だった。
とりあえず歩道の様子を見てみようと、国会正門前の信号へ向けて歩きはじめる。
歩道脇の段差に腰掛け、時間が来るのを待っている人が多かった。
歩道で何か大げさに話しているなと思ったら、テレビ局のインタビューだった。
歩道を半分ほど進んだあたり、公園の中央部にある出入り口にSEALDsのメンバーがいた。
スピーチをしたり何かを読み上げたりしているのだが、報道関係を含めてこのあたりの混雑がすごいため、横目で見ながらゆっくりと通過。
彼らの印象は、ズバリ”若いっ!!”だった。
拡声器を持った警察官が「この先は人で一杯です」と繰り返すが、周りの市民たちからは「ウソウソ、まだまだ空いてるよ〜」と言われていた。
歩道は三角コーンで半分に区切られ、公園側を抗議行動ゾーンとして立ち止まっても良い場所とされ、車道側が通路とされていた。
人がいっぱいだったのは、国会正門前の信号がある角だけ。
横断歩道を渡るために人が集中し、ほとんどデッドロックになっていた。警察官が「前の人に続いて、前へ進んでください」とマイクで連呼するが、前が進まないんだから進めるわけがない。
横断歩道を渡って南側も見に行こうかと思っていたが、この混雑では無理と判断し、歩いてきた北側の歩道を引き返すことにした。
北庭公園入口付近には、真摯に署名活動をするSGI Against Fascism(反ファシストの創価学会インタナショナル)のメンバーの姿があった。そのまなざしからは、彼らがどれほど強い思いで活動しているのかが、ひしひしと伝わってきた。
北庭公園(北側の公園)
北庭公園入口に戻ってきたところで、1本目のフィルムが残り僅かになったので2本目に交換。
ついでに時間と場所を記録するためiPhoneでビデオを撮影。(ビデオのタイムスタンプは13時5分)
この時間帯はまだのんびりとした雰囲気だったように思う。
公園のなかを国会議事堂の方へと進むと、先ほど見たSEALDsを後ろから見ることができた。
彼らの人気はやはり高く、このあたりに人が集まっている。若い人も、僕くらいのアラフォー世代も、中高年から高年の人も、中には車いすに乗った人も、ここへ集まってきている。
13時12分、SEALDsのコール「憲法守れ!」「アベはやめろ!」をビデオ撮影(→Flickr)。
さらに進んで公園の端、木々の間に国会議事堂が見えるところにもたくさんの人が集まっていた。
僕の前に立っていた老夫婦は、雨に備えて山歩き用のスパッツ(泥除け, 脚絆)で足元を固め、手製の”アベ政治を許さない”のゼッケンをつけ、静かに国会議事堂を見つめていた。
他の人々も皆、その視線は国会議事堂へ向けられていた。
公園の木々の下、柵で区切られた歩道のすぐ後ろにもたくさんの人が詰めかけている。
また、車道を挟んだ向こう側、南側の歩道も人で埋まっている。
決壊
北側の歩道と公園を一通り見て回り、公園の中央付近、SEALDsのところへ戻ってきた。
行く宛もないため、ここでコールを聞いていようと思った。
ビデオを回し彼らのコールを撮影していると、歩道の方が何やら騒がしくなってきた。
警察がマイクで何か言っているようだったが、はっきりとは聞き取れない。(ビデオのタイムスタンプは13時35分)
ほどなくして、目の前の集団が歩道の方へそろりそろりと動き出した。
とてもゆっくりとした動きだったため、現場にいた時には、それが決壊だとは思わなかった。
騒がしかった歩道の方を見ると、そこには車道を進むデモ隊の姿があり、警察による封鎖が決壊したのだと、この時になってようやく気がついた。(ビデオのタイムスタンプは13時45分)
3本目のフィルムに交換しながら、周りの様子を見る。
SEALDsのメンバーが出て行った公園の中央出入り口は狭く、車道へ出ようとする市民が殺到し長蛇の列ができていた。ここからはすぐには出られそうにない状態だった。
車道の方からは、SEALDsのメンバーだろうか、
前の人を押さないで!
けが人が出ないように!非暴力で!
何かあったら、今日までやってきたことが無駄になってしまいます!
前の人を押さないでください!
と、安全な抗議行動を呼びかける声が聞こえてきた。(この発言を聞いたのがこのときだったのか、それ以前だったのか記憶が定かで無い)
車道へ
公園の中央出入り口から外へ出るのは時間がかかりすぎると判断し、公園入口まで一旦戻り、そこから車道へ出た。
ここには市民を制止する警察官もおらず、何の障害もなく、ぞろぞろと車道へと出ることができた。
僕と同じく北庭から出てきた人、南側の歩道から出てきた人、国会前の信号を渡ってきた人が合わさって、国会議事堂に向けての大行進となった。
決壊とほぼ同時に進入してしまった観光用の二階建てバスが行き場を失い、Uターンしてくるのが見える。
バスに乗っていた外国人観光客は、笑顔で手を振っていた。
彼女たちが笑顔なのは、このデモが非暴力というポリシーを貫いているからこそだろう。
前方から聞こえてくるSEALDsのコールに少しでも近づけるよう、前へ。
右手のM6で写真を撮り、左手のiPhoneでビデオを録りながら進むこの瞬間は、最高の高揚感に包まれていた。
皆が、前へ前へと進む。
南側の歩道
行進が落ち着いたところでふと左手側を見ると、南側の歩道はまだ封鎖されたままだった。
警察官が市民に何か説明しているが、鉄柵がじわりじわりと外へ押し出されてしまうくらいに人が集中している。
すでに車道へ出てしまった僕たちの方はのほほんとした雰囲気で、警察がどうしたいのか、なぜ封鎖しているのかがよくわからなかった。
しばらくして南側も決壊。
このとき、少し緊迫した空気が流れ、数名の市民が警察官に連れて行かれたようにも見えた。
この件については、はっきりしないため未確定情報としておく。
車道の中央分離帯に場所を確保し、4本目のフィルムに交換。
国会前を埋め尽くす
北側、南側、双方から車道へ出た市民で、国会前が徐々に埋まり始める。
あまり前へ行くと詰まりすぎて危ないかなぁと、少し手前の密集度の低いところへ陣取っていたのだが、気がつけばここもかなりの密集度になっていた。
14時ごろ、”安倍やめろ!”の巨大横断幕がモノトーンの風船と共に浮かび上がると、拍手と歓声が湧き上がった。
思い思いのプラカードを掲げる姿は、上空を旋回する報道のヘリコプターに向けて「さぁ、撮れ!ここに集まった皆を撮れ!!」とポーズを決めているようでもあった。
ここにいたことを残しておこうと、グーグルマップで現在地を表示してスクリーンショットを撮影。
ちょうど、ど真ん中あたり、ブロック1つ分だけ高い中央分離帯に乗っていた。
(スクリーンショットのタイムスタンプは14時5分)
5本目のフィルムに交換した頃から、ぽつりぽつりだった雨がぽつぽつに変わり、傘をさす人が増えてきた。
集う人々
自分より前の方は人で埋め尽くされているのが見えていたが、後ろがどうなっているのかはよくわからなかった。どのあたりまでこの密集度なのか見てみようと、陣取っていた中央分離帯を離れ、後ろの方、国会前の信号の方へ向かった。
国会前の信号まで来ると、僕が来た時とは比べ物にならないくらいの人が、続々と道を渡ってやってくるのが見えた。
警察は止めどなく押し寄せる市民の多さに、交通整理に精一杯の様子だった。
振り返って、国会議事堂の方を眺める。
人の密集度がすごかったのは途中までで、国会前の信号付近はまだ余裕のある状態。このあたりへはコールの声もさほど届かず、少し穏やかな感じだった。
道を渡ってやって来た人々は、大群衆の一人になろうと、次々と国会議事堂の方へ歩を進めていた。
15時前、この後、まとまった雨雲がこちらへやってくることがわかり、少し早いが国会前を離れることにした。
国会前の交差点、横断歩道のずいぶん手前から走りだす中高年夫婦。
熱い思いがその行動に表れていた。
霞ヶ関駅方面から歩いてくる人も後を絶たない。
帰る人もいるけれど、15時前の時間帯では、国会前へ向かう人の方がかなり多かった。
”戦争法案に反対する国会前大抗議行動”に参加して
以前の僕は、誰と共闘するわけでもなく、自分がこれだと考える主義主張を自分の思うがままに表現し、それを貫き続けることに価値があると考えていた。一人よがりなところもあると思うが、最後の一人になっても自分のスタンスを崩さないという強さを重視していた。そういった考えは、僕の中にまだ多く残ってはいるが、SEALDsの行動をTwitterなどで追いかけるうちに、統合や結束することによって生じる大きな力もアリだなという感情が起こり、それがきっかけで今回の行動に参加することにした。
Twitterで「○万人の1人になろう!」と流れてきた言葉も、それを大きく後押しした。
こんなにもたくさんの人が集まり、SEALDsのコールが響く国会前に”安倍やめろ!”の横断幕が上がり、これほどの満足感に包まれるのは、そうそう無いことだろう。
先日の記事、”Aug. 30, 2015 雑感”に書いたように、国会前からの帰りにライカ銀座店へ寄った際、ライカの店員にこの日がいつもとはちがう”大きな”抗議行動であると認知されており、さらには彼の知り合いにこの行動に参加する者がいるという話を聞くことができ、二重に嬉しく感じたことを、再度記しておく。
僕は憲法をきっちりと学んだり、また学ぼうとしたこともなく、憲法9条については、なんとなく、ぼんやりと、”日本は戦争をしません”ということが規定されていることを知っているだけだが、その”正しい精神”が、知らず知らずのうちに僕の中に形作られていたこと関して、これまでに関わってきた先生方に、感謝の念を抱く。
本題から少し外れるが、”アベ政治を許さない”の言葉と、あの毛筆で書かれた文字は、中年より上の年代層、特に中高年に対して非常に人気が高いように感じた。パウチッコ(ラミネート加工)にして鞄につけたり、プラカードにして手に持ったり、ゼッケンにしてつけたりと、あちらこちらで目にすることが多かった。
それに対し、”自民党 感じ悪いよね”はほとんど見かけることが無く、人気がないことがはっきりした。
これをふまえ、僕のカバンにつけている缶バッチの編成を、次のような感じに変更した。
もんじゅ君, シーサー, どいね★げんぱつ, アベ政治を許さない, PEACE N☮T WAR
更新情報
2015年9月4日
「安全な抗議行動を呼びかける声」を聞いた時間帯があやふやなことを追記。
2015年9月8日
見出し写真のサイズを横幅いっぱいになるよう調整。
「永遠のうそをつきたくて 僕たちはまだ旅の途中だと」