先生の子どもとして思うこと

少し遅れて知ったのだが、ある高校の教諭が自分の子どもの入学式に出席したことに関して話題になっているようである。

埼玉県立高校の女性教諭が長男の高校入学式に出席するため、日程の重なった勤務先の入学式を欠席していたことが14日、埼玉県教育委員会への取材で分かった。

msn産経ニュース:http://sankei.jp.msn.com/life/news/140415/edc14041507540001-n1.htm(リンク切れ)
高校教諭 勤務校欠席し息子の入学式へ 教育長「生徒が心配する事態招いた」

これに関して、先生の子どもとして思うことを、ちょっとだけ。

僕の母は小学校の教諭であった。
なので、僕が通う小中高の各種イベント、入学式や卒業式、授業参観、運動会などに、母が出席しないことがほとんとであった。
まぁ、僕が一人っ子だったこともあって、寂しいとか、他所と違うことに疑問を持つとか、そういうことについてはかなりの耐性があり、なんとも思っていなかった。

それでも、ごくごくたまに母が参加すると[1]、普段そういうことが無いだけに、非常に特別な感じがした。
嬉しいとか、幸せに感じるとか、そいうはっきりした気持ちではないのだが、「良い」と感じる何かがあった。

だから、先生が自分の子どものために何かするというのは、たまにはそういうことがあってもいいんじゃないかと思っている。

更新情報

2016年3月20日
引用部分、HTMLのciteタグの表記を変更。
2016年10月3日
引用部分、引用元のURL消滅に伴いリンクを解除。

脚注

  1. うちの場合は、たぶん、母の勤める学校と日程がずれたときだけだったと思う。 []

著者

西尾 健(にしお たけし)
石川県金沢市在住の素人フォトグラファー。
ダメ人間で写真が好き。フィルムの魅力に引き込まれ、フィルムで撮り続ける日々。
このWebサイトでは、主に自分用のメモと記録を、写真と文を交えて記事にしています。

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