Minolta TC-1, Fuji PREMIUM 400
@自宅
2011年5月7日の昼、彩雲が出た。
たまたま部屋から外を見た同居人が発見。
空にドーンと横たわる大きさに驚く。
Minolta TC-1, Fuji PREMIUM 400
@同上
太陽との位置関係。
太陽は天頂付近。
1枚目の彩雲は、のっぽのビル(ホテル日航金沢)の向こうの方。
よく見ると、途中にもう一つ彩雲が出ている。(鳥の少し上あたり)
この後、虹の幅が広がり、次第に色が薄くなって消えていった。
なんでデジタルカメラで撮ると、撮った瞬間に再生して確認しちゃうんでしょう?
で、気に入らなかったら消して、撮り直す、と。
ン万円(ン十万円?)もした機械が、そんなに信用できませんか?
21世紀のカメラですから、バカが撮ったってちゃんと写りますよ。(暴言失礼)
# そう言えば、”F6(*1)は最高のバカチョンカメラ”という言葉がありました。
# これはこれで、言い得て妙だと思います。
さてさて、自戒も込めて書いています。
上がりを確認してから撮り直すのって、写真とは別のモノのような気がします。
風景とか人物をスキャンしているような、何というか、上手く説明できないんですけどね。
「あっ!」「イイッ!」「う…」「えっ?」「Oh!!」
みたいな瞬間に「ヤッ」っとシャッターを切ったものが写真っぽいんですよね。
こう、気持ちとか気分が原動力になって、人差し指が動くようなね。
撮り直したやつは気持ちが薄まってるような、ね。
気の抜けたビールみたいな、そういう感じがします。
伝わりにくくて申し訳ないです。
更新情報
2014.4.14
HTMLタグの記述間違いを修正。
学生時代何度かフィルムの一眼レフカメラで撮ってて、現像する楽しみったらなかったのを覚えてる。いまのデジタルカメラは、もちろんそういうのとは別物。
デジタルでも「ここ!」「これ!」と思って撮ったのに、念のため・・・とか思って同じようなのを追加で2、3枚撮ったとしても、見直してみると1枚目がいい。というか、1枚目しかよくない。これ、ほぼ毎回。だとしたら「ここ!」「これ!」の1枚だけでいいんだよね。どれだけでも撮れるという自由さ、利便性をどう活かしたらいいのでしょうね。デジタルガメラは。
(機械として)どれだけでも撮れるけれども、(精神的に)1枚だけしか撮らないようにすればいいのかもしれないな。
撮影枚数を制限することによって、何かが凝縮されて最高の1枚になっちゃうような。
よく見たら、
>>デジタルガメラ
って書いてる。
ガメラ?怪獣?
手に負えないってことの隠喩かい?