沖縄2日目。
慣れない寝床と枕のせいで、夜中に何度も何度も目が覚めた。
こんなに眠れなかったのは初めて。海外での時差ボケだったり、山でテント泊するよりも眠れないホテルって一体…
夜中に目を覚ました時は窓の外に雨音が聞こえていたが、朝起きて近くのコンビニエンスストアへ新聞を買いに外へ出ると、雨は上がり、南国を思わせる暖かな空気が漂っていた。
今日は那覇をぶらぶらし、おみやけなどを買い込む予定。
コンビニで買ってきた新聞を読み、ラジオを聞き、7時45分頃にホテルを出た。
少し雨が降っていたので傘をさし、博物館前のバス停まで歩いた。
バスを待っているうちに雨はやみ、しばらくしてやってきた10番バスで那覇バスターミナル方面へ。もちろん、昨日買っておいたバスモノパスでの乗車。
通勤ラッシュで道は混んでいるが、バスの車内は人もまばらで空いている。
20分ほど乗車し、国際通りの県庁側の端っこ、松尾一丁目でバスを下車。
バスを降りる頃には雨がやんで、空も明るくなってきていた。
パレットくもじを横目に見つつ、通勤する人の流れに逆らうように国道58号線の久茂地交差点方面へ。
まずやってきたのは、お食事処みかど。
前回(昨年)に続き、今回もここで朝食をいただく。
カウンターに座り、しばしメニューを見て悩んだ末、かつ丼をごはん少なめで注文(前回はゆし豆腐定食を注文)。
調理している様子を眺めながら、待つこと数分…
卵とじのかつ丼に、わかめの味噌汁が添えられている。
味付けは甘辛い醤油ダシの一般的なものだが、少し濃い目の味。玉ねぎに加えてキャベツと人参が入っているところが沖縄風だろうか?
ご飯を箸でかき込むのがなんだかやりにくいと思ったら、蕎麦やうどんを入れる器に盛り付けられていた。
分量は、ごはんを少なめで頼んでも一般的なかつ丼と同等で、しっかりと満腹になった。
久茂地交差点まで戻り、海の方に曲がって若狭方面へ。
福州園の白壁の前を通り、さらに進む。
表通りをそれて住宅街を抜け、対馬丸記念館へ到着。
昨年、波上宮へ向かった途中にこの場所を歩いているが、対馬丸記念館は見学していなかった。
館内の展示から、国がひとたび戦争に関われば、戦場で鉄砲に撃たれて死ぬだけでなく、民間の疎開船に乗る子どもたちまでもが戦争の犠牲となり、それぞれの夢も消えてしまうのだということを再認識させられた。
対馬丸の甲板から海面までの高さと同じに作られた記念館。
この高さから海に飛び込むのは、大人でもなかなか厳しいものがある。
波上宮は中国人観光客がほとんどで、日本人の参拝者はほんの数名。
お守りを買おうと立ち寄った社務所は、20名ほどの中国人観光客が詰めかけワーワーワーワーとうるさく、並ぶことなどしない彼らの混沌とした行動がさらなる場の混沌を生み出し、収拾のつかない状態となっていた。
その人だかりの中、なんとかお守りを購入。
「この紅型のお守りを…」と言っている途中、ガサガサと横から割り込んできた中国人観光客に対し、社務所のお姉さんがサッ!と手を出し「お待ちください」と言った姿が凛々しかった。
来た道を引き返し、久米孔子廟前バス停から5番バスに乗って、国際通りのてんぶす前へ。
この後の予定を考慮して少し早目の昼食にするつもりだったが、朝のかつ丼がまだ腹に残っていたのでそのまま移動。
平和通りに入って、いつものこの場所で撮影。
大きな変化は無いようで、なぜだかちょっと安心した。
11時半頃、桜坂劇場に到着。
旅行前に上映スケジュールを調べたところ、石川県ではなかなか観られない作品が上映されることがわかり、旅行中に観ようと決めていた。
早速チケットを買い、ドキュメンタリー映画「イザイホウ」を観る。
今は途絶えてしまった久高島最高の神事、イザイホウ。それがどのように執り行われるのかを記録した映画で、民俗として非常に興味深いもの。
久高島の暮らしに始まり、イザイホウが執り行われ無事に終了する様子へと続く。
そして、本島から赴任している学校の先生や島民へのインタビューから、これまで自給自足中心であった島の暮らしが、本島へ出て就職し給与を得るという資本主義の現代社会に徐々に飲み込まれていることを描き、民俗,風習がまさに消えようとしている中で、果たして次回、12年後には執り行われるのかどうか?というところで映画は終わる。
民俗が変わっていくことの良し悪しはさておき、その変わりゆく様を巧みに記録しているなと感じた。
この映画が撮影されたのは1966年。その後、1978年にもう一度行われたのを最後に、イザイホウは行われていない。
「そっとしておいて」/久高島・イザイホー2度目の中止 - 琉球新報(2002年6月24日)
久高島イザイホー中止 78年最後に、後継者不足 - 琉球新報(2014年7月26日)
なお、1978年のイザイホウは、科学映像館のWebサイトで観ることができる。
沖縄 久高島のイザイホー-第1部-
沖縄 久高島のイザイホー-第2部-
続いてもう一本、こちらもドキュメンタリー映画の「圧殺の海-沖縄・辺野古」を観る。
辺野古での新基地建設反対運動を記録したもので、昨年、2014年11月の沖縄県知事選なども収められた拡大版(参照:桜坂劇場:圧殺の海 -沖縄・辺野古-)。
基地ゲート前での行動に加え、海上でどのようなことが起きているのかを見ることができる。
一人の市民として、ある程度の常識を持ち合わせた者として、そこに映る海保の行動には疑問を抱かざるをえない上、その海保の行動からは恐怖さえ感じる。
映画を最後まで見終り、精神的な疲労感がどっと押し寄せた。
公権力による高圧的,威圧的で暴力的なシーンを見るのはやはり大いに苦痛で、胃が痛くなる一歩手前だった。今回は自分がある程度元気な状態だったから良かったものの、そうでなければ最後まで見続けられず、途中で席を立っていただろう。
映画を2本見て、時刻は15時。
昼食を食べずにいたせいで少し腹が減ってきたので、商店街まで戻って軽く食べることに。
あの店はどこだったかな〜?とむつみ橋通りをうろうろ。
なんとなくこの辺だったなぁ…と辿り着いた台湾茶屋に入り、以前来た時(沖縄旅行 2013年 前編 / Trip to Okinawa, 2013, first partの2日目を参照)に美味しそうだったトースト(150円)とコーヒー(250円)を注文。
トーストはふんわりしてやわらかく、サンジジャー(3時のおやつ)にぴったりだった。
台湾茶屋で一息ついた後、商店街や公設市場付近をぶらぶら歩き、独特の雰囲気を満喫。
浮島通りに出てサンライズなは商店街の方へ向かっていると、2年前に訪れた際、魔法で消されてしまっていた台湾粥の店(沖縄旅行 2013年 前編 / Trip to Okinawa, 2013, first partの2日目を参照)を偶然発見。
看板の文字は消えてしまって、店が開いてなければこの存在に気が付かなくてもおかしくないだろう。
サンライズなは商店街から太平通りに入り、店先に並べられた惣菜などを見て歩く。
太平通りの端っこ、上原パーラーの店先に並べられた天ぷらに居ても立っても居られなくなり、イカとさかなの天ぷら(それぞれ50円)を注文。
どちらも揚げたてで暖かく、イカ天ぷらはイカの旨味が、さかな天ぷらは特に魚臭さもなく、白身魚の旨味がじゅわっと感じられて美味しかった。
壺屋をぐるっと周り、商店街に戻って国際通りへ。
少し風が出始め、たまに吹く突風が少し寒く感じた。
沖映通りのジュンク堂で沖縄県産本をじっくりと堪能。
1時間くらい吟味して、これは…と思うものや内地では買えないものを幾つか購入。
小禄駅を出てすぐ前のイオン那覇店で、自宅用のジューシーの素からおみやげ用のちんすこうまで、いろいろと購入。イオンにおみやげ専門店が入っているので、”一般的な”おみやげもここで買い揃えることができた。
イオンの食品スーパーで、辺銀食堂のラー油がワゴンに山積みされていたのが印象的だった。値段は900円。賞味期限は2016年1月で、在庫処分の投げ売りというわけでも無いようだが?
イオンで買い物を終え、小禄駅からゆいレールでおもろまち駅へ。
一旦ホテルへ戻り、重い荷物を下ろしてから夕食を買いに出かけた。
この日の夕食は、コープあっぷるタウン店で購入。
鶏の唐揚げ、チキナーチャンプルー、ジーマミ豆腐、ネギトロ中巻、ジューシーおにぎり、デークニ(大根の煮物)にビール。
サンエーとはまた違うチャンプルーとデークニの味を、なんとか舌に覚えさせた。
それにしても、なぜご飯系を2種類も買ってしまったのだろう?お腹が空いていたのかな。
明日は朝早く出発するので、早めに就寝した。
沖縄紀行 2015年 1日目 / Okinawan journey, 2015, Day 1
沖縄紀行 2015年 2日目 / Okinawan journey, 2015, Day 2
沖縄紀行 2015年 3日目 / Okinawan journey, 2015, Day 3(執筆中)
沖縄紀行 2015年 4日目 / Okinawan journey, 2015, Day 4(執筆中)
沖縄紀行 2015年 5日目 / Okinawan journey, 2015, Day 5(執筆中)