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あれ以来の奈良

近鉄奈良駅付近へは母の実家が奈良ということもあって小さな頃から、東大寺大仏殿と若草山へは小学校の遠足で、奈良国立博物館とその周辺へは高校の時に正倉院展を観に訪れて以来、の奈良。

未掲載を含め、すべての写真はFlickrのアルバム(Nara, 2014)にまとめた。

所用で大阪へ行った折、意図せず数日間の空きができた。
カメラ(Minolta TC-1)もあることだし撮り歩きでもしようかと行き先を探したところ、沿線で交通の便の良い奈良が候補として挙がった。小さな頃から何度も行ったことのある奈良だが、思い返せば十年以上訪れていない。記憶の隙間を埋めるために調度良い機会だと思い、近鉄電車で奈良へ向かった。

平日、10時半か11時頃に近鉄奈良駅へ到着。改札を出たところで奈良市の観光ガイド(無料)を入手し、裏面の地図を見ながらどこへ向かうか考える。
とりあえず近いところから大仏でも見てみるかと、まずは東大寺へ向けて歩き出す。


駅を出てすぐ、噴水の前で托鉢をする修行僧は小さな頃から覚えている風景。
傘をかぶり無言で立っている姿に、なんとも言えない恐怖を感じていた記憶が蘇ってくる。


少し歩いて奈良公園に差し掛かると、シカがお出迎え。手に持ったカメラを鹿せんべいか何かと勘違いして寄ってくる。
公園沿いの道に、鹿せんべい屋がぽつぽつと店を出している。

大通り沿いをそのまま進み、あまり記憶に無い地下道を通り、東大寺へ。


南大門の前は、遠足か修学旅行と思われる学生と外国人観光客でいっぱい。
日本人の観光客はほとんど見かけない。


南大門の仁王像を横目に通り過ぎ、その隣の石獅子(左・右)をシーサーつながりで堪能。


人の波は大仏殿へ向かっており、その喧騒から逃れようとこの鏡池の横を通り、二月堂方面へ。


途中、少し遠回りをして大きな鐘を見たり、


鬼瓦や柿の木を眺めながら、のどかな雰囲気を楽しんだ。


二月堂。
もしかすると、僕は清水の舞台と二月堂の記憶が混ざってしまっているかもしれない。


階段(先ほどの写真の左端)を上った先を左へ行くと無料休憩所があり、セルフサービスのお茶をいただいたり、お水取りで使われる大きな松明の展示を見たりしながら休憩。
一息ついたついでに、忘れないうちに撮影メモを記入しておく。


二月堂からは、大仏殿の向こう、遠くに生駒の山並みが見えた。
ちょうど小学校の遠足と重なり、ドタドタと騒々しい拝観となった。

法華堂(三月堂)から手向山八幡宮と歩き、続いて春日大社へ向かう。
この手向山八幡宮から春日大社への道(地図)は大型観光バスは何台も通っていたが、他に歩いている人は無し。普通は正面から参拝か?


春日大社の駐車場には大型観光バスがずらりと並び、その傍らには外国人観光客。


春日大社南門を抜けたあたりまで来ると人もまばらとなり、静かな雰囲気となっている。

若宮神社のハート型をした絵馬に邪なものを感じつつ少し行くと、向こうから紫の法衣をまとった御方が歩いてくるのが見えた。なんとなく声をかけられそうだなと思いながら進むと、そう思った通り声をかけられ、しばし立ち話となった。

その御方がどういう方かは全くの不明だが、その顔立ちからの雰囲気は”男版・瀬戸内寂聴”とも思える柔らかなものだった。仔細を見れば、紫の法衣をまとって杖をつき、手には風呂敷包みを一つ提げ、耳からは補聴器のコードが垂れ、鼻毛が自由気ままに飛び出した風体は異様な様である。それでも、狐に化かされるわけでも、また身の危険を感じることもなく、時に笑いをはさみながら穏やかな立ち話であった。
若宮神社のこと、奈良のこと、妊娠していない女に乳を出させる方法(!)、昭和の大書道家である莫山先生のこと、政治のこと、結婚のことなどなど、とりとめのない話を色々と交わした。

一通り話を終え「それでは…」と別れを告げ、若宮15社めぐりの道を奥へと進んだ。


東大寺や春日大社の喧騒からは想像できないような静けさの中をゆっくりと歩き、一番奥の紀伊神社へ。
森の中にひっそりと建っていた。

そのまま先へ進み、ぐるっとまわって春日大社の二之鳥居あたりへ戻ると、先ほどの御方がベンチに座り煙草をふかしていた。「また会いましたね」といった感じで会釈し、ここでもまた宮本武蔵や柳生十兵衛などの話をした。
別れ際、春日大社の宝物殿(すぐそこ)の展示をおすすめされ、そちらを鑑賞した。

沢山の観光客でごった返す春日大社表参道を通り、一之鳥居へ。
そこから道を渡り、花も葉もない枝だけの梅林を横目に歩いて浮見堂へ。


高校の時、正倉院展を見た後に飛火野をぶらぶら歩き、その後に浮見堂へ立ち寄ったと思っていたのだが、この景色を見ても池の周りを歩いてみても、記憶の中のシーンに結びつかない。どこか別の場所だったのだろうか?


まだ時間に余裕はあったが、昼飯を食べていないことを思い出した途端に腹が言うことを聞かなくなり、興福寺で五重塔を見上げて散策を終了。

あれ以来の奈良は、寺社仏閣、托鉢僧、シカと鹿せんべい屋など、ほとんどすべてはあの時のままそこにあった。
訪れるものだけが、色々と変わった。



今回歩いたコース